毎年、受験の季節を迎えると必ず思い出されるのが予備校生活なんです。
「青春時代」という、ちょっとばかりくすぐったい言葉が10代の輝かしい時期を指すならば、僕の場合は間違いなく2年間の予備校生活がまさに青春時代でありました。どうしたわけか3年間の高校生活よりも、予備校で過ごした2年間の方がずっと充実していて、僕の人生の中ではとても貴重な時期なのです。
僕の母校(?)は北九州予備校小倉校です。昭和59年、見事に大学に嫌われてしまった僕が迷うことなく選んだのがこの予備校でした。というよりも、当時は北九州でメインの予備校は北九州予備校(以下、北予備)しかなかったわけですから、仕方なく、というのが本音ですかね。(今では北九州周辺は大手予備校の激戦区になっています。)今では小倉駅北口のすぐ近くにある校舎も、あの頃は馬借(ばしゃく)という駅から歩いて20分くらいのところにありました。だから今では小倉校ではなく、小倉駅校になっています。
当時、一時期ほどではないにせよ、「灰色の浪人生活」というイメージは世間一般(当然、高校生にも)残っていましたから、予期していたとはいえ、大学の不合格を知った僕は大いに落胆したもんです。これから始まる暗い生活に耐えられるかなという得体の知れない不安感! 遊びたい盛りの10代の終わりを受験勉強一色に染めなきゃならないという失望!! 合格しなけりゃ延々とこの生活が続くのだというプレッシャー!!! 孤独な生活を強いられると思いこんでいましたから、救いといえば、仲のよかった高校時代の同級生数人と共に予備校の入校式を迎えることになったくらいですかな。
僕の記憶が確かならば、授業料は42万円。何の因果でこんな無駄なお金を払わなければならないのだ、と身の不幸を嘆きつつも、入校式を終え授業は始まります。ところがですね、いざ予備校生活を始めると意外にも新鮮な気持ちになって、目からウロコなんですね。当初持っていた予備校のイメージとは全然違う。まず同級生(同い年も10才年上もみんな同級生でしたが。)の人数が高校とは比べものにならないほど多い。高校時代は一学年270人くらいだったのが、予備校ではその数倍ですからね。しかも出身校は様々で、福岡県はもとより、海を越えた山口県の他、九州全県から浪人生が集まっている。そして年令がまちまち。もちろん18、19才が多数派だけど、中には一旦大学を卒業して再受験を志す人、ストレートに7年間予備校にいて、新米の職員より予備校(裏)事情を知り尽くしている主(ぬし)など、話を聞くたびに感心する日々。しかし何よりも授業の中身が高校のそれとは全然違う。「ホントに純粋な受験勉強をしているのだあ。」と実感する日々でしたね。(時々居眠りもしましたが。)無駄話が一切禁止されている自習時間があって、授業終了から夜20時50分まで毎日、自発的に居残って勉強していました。でも不思議と疲れなかったんですよ。えらく清々しい気持ちで帰宅の途に着いたことを今でも昨日のことのように憶えています。高校時代、唯一の得意科目であった英語以外はパッとしない成績でしたが、次第にバランスよく得点することができるようになり、共通一次試験ではそこそこの成績をおさめることになったのでした。
比較的自信を持って望んだ入試でしたが、残念なことに一浪目の受験は失敗に終わりました。落ち込みましたねえ。不合格を知った最初の2日間は何もできず、ただ布団をかぶって身の不幸を嘆き、自分の運命を呪っておりました。(笑) ですが、不思議なことに翌日からさっと気持ちが切り替わり、今、振り返っても驚くくらいに前向きな努力をし、結果を出すことができるようになったのです。
まず特待生試験。当時の北予備には特待生、準特待生制度というものがあって(今はどうなっているか知らないんですが。)、これは試験を受けて、授業料全額免除、半額免除(だったかな?)という特典が与えられるものです。さすがに二浪目になると、授業料なんか払ってたまるかい!という意地と自分の実力を試したいという殊勝な気持ちがあって、僕はこれを受けることにしたのでした。一度目の受験は不合格。でも僕は落ち込まなかった。2度目の受験、結果は準特待生。僕は全く満足しなかった。歯を食いしばって3度目の受験、数学の問題用紙の一番上の余白に「絶望は愚か者の結論」とまず書き込み、真剣に問題に取り組んだ。他人から見れば、狂気じみた行為かも知れませんが、僕は真剣だったのですね。見事に特待生になり一旦納めた授業料は全額返還されました。このことが、その後の自信につながったようです。
僕を先輩と呼んでくれるかわいい後輩たち(?)に刺激をうけ、大の苦手であった数学を克服し、多浪生仲間(注:2浪以上をいう。)同志で励まし合い、帰りの電車の中で、酔っ払いのおいちゃんにビールを飲まされながらも、翌春、無事に志望校に合格することができたのでした。
受験のニュースがテレビで流れる季節になると、当時の思い出が、今では音信不通となってしまった仲間たちの顔と共に懐かしく思い出されます。同時に、これから受験に挑む予備校生諸君の健闘を心から願わざるを得ません。