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特別室-その19

源じいの家庭教師物語・序章(その1:数学のこと)

「ばか。」思いがけず聞いたその一言がボクの家庭教師物語の序曲となった。

 思えばホントに数学の苦手な高校生だったと思う。中学時代はなんとか成績は上位。地元の公立進学校普通科に無事入学はしたものの、それからは数学のことで頭を抱え続ける苦難の日々を送ることになる。

 高校2年の時、親の知人の計らいで高校を退職した元数学教師の自宅へ週一度勉強に通うようになった。家に伺うといつも居間のテーブルにわら半紙1枚がおいてあって、そこには手書きで3問ほど数学の問題が並べて書かれていた。そして僕はただ黙々と問題に相対し格闘するのである。たとえ正解が得られずともせめて解答には至りたいという強い思いとは裏腹に問題は一向に解けない。難攻不落の城を責めているような鬱な気分。ボクは今でもあの時の情けない気持ちを忘れることができない。一方、ある時期まで一緒に習いに来ていた同級生の女の子はスラスラとシャーペン(シャープペンシル)を紙に走らせている。その軽快な音はボクを「お前、何やってるんだ。」と嘲笑しているようでいっそう焦りを感じさせた。

 教える側からすれば間違いなくボクは数学の落ちこぼれである。同じカテゴリーの問題(類題)を何度解かせてもやはり間違える。本人には全く悪気はなく、当然わざと間違えているわけでもないから逆にタチが悪いかも知れないな。最初は淡々と、しかし根気強く説明していた元教師の表情が曇る。やがて明らかに声のトーンが荒くなっていく。いつもだったら不機嫌のレベルはこのあたりで止まっていたがその日は違った。イライラの頂点に達した彼の口からついに出た。「ばか。」

 ボクの背中は凍りつく。時間が止まったような感覚。勉強に関してはそれまで一度も浴びせられたことのない言葉を聞いたボクは一体、直後にどんな顔をしていたのだろう。困惑したような顔だったのかしらん。問題文をじっと見つめながら返す言葉もなく、ただただうつむいていたことだけは今でもよく覚えている。

 その日の帰りのバスの中では何とも言えない切ない気持ちだった。怒りと情けなさと悔しさが混ざったような気分。なんで数学の問題が解けなくて「ばか」なんだ。苦手だからこそこうして月謝を払って習いに行ってるんじゃないか。叱るにしてももっと適切な言葉があるはずだ。感情にまかせて人をばか呼ばわりするなんて最低な大人だ。もうあそこに勉強に通うのはやめようと心に誓いつつ家路についた。高校2年の冬。

 元教師には親に丁重に断わりをいれてもらってそれからのボクは人が変わったように勉強した。あの元教師を見返してやろうという少々恨みめいた気持ちはあったが、惨めな気持ちはもう懲り懲りだという思いのほうが強かったと思う。心機一転、それまであまりしたことのない数学の予習をこまめにしたし、授業中も決して居眠りをせず教師の説明には懸命に耳を傾けた。人が変わったようなボクの頑張る姿にさぞ両親も目を細めて喜んでいたに違いない。この努力のおかげで順調に成績が伸びて、ついにボクの数学アレルギーは解消されたのであった、となれば恰好はいいが現実はそんなに甘くない。成績は上がるどころか、残念なことに逆に下降線をたどっていった。真面目にキチンと勉強していながら、である。後年家庭教師となって、ボクのように勉強はちゃんとしているけれど成績が伸びないことを訴え、悩んでいる生徒が意外と多いことに気がついた。こんな生徒に周囲は必ず「集中していないからだ。」とか「くり返しの学習が欠けているからだ。」とか「授業を真剣に受けていないからだ。」といって叱る。しかし実際は違う。彼らは偽りなく一生懸命に頑張っているにもかかわらず、しかし成績が伸びないのである。詳細は後述することになるが、その原因をクリアに本人に気付かせてくれるアドバイザーがいないために彼らはただただ悩み苦しんでいるのだ。ボクにはそんな彼らのつらい気持ちが痛いほどよくわかる。

 春が来て高校3年生になった。進級してすでに大学への進学を決めているボクは受験生としての自覚を学校から強いられるようになる。気持ちが引き締まる反面、正直かなりのプレッシャーにはなった気がする。日々の数学の授業では極限、微分・積分の応用など、新しい単元が次々と現れてはボクを苦しめた。実際、計算問題にやっとついていく程度の実力しかなくて教科書の中で出題範囲が決まっている中間考査、期末考査では何とか合格点をクリアしたものの(記憶が定かではないが、35点以下が落第点だったと思う。確か35点以下の点数は「赤点」と呼ばれていたっけ。)、数学の消化不良は如実に表面にあらわれてきた。ある時は職員室に呼ばれて宿題ノートの答案の書き方がいい加減だと叱られた。その時のノートはすでに紛失しているために、どの程度「いい加減」な答案を作成したのか今となってはわからない。しかしボクはわざと「手を抜いた」記憶はない。自分なりに真面目に考えて答案を作成したつもりなのだ。だから数学教師がなぜボクを叱るのかが全然わからなかった。またある時は数学の宿題を忘れて仲間数人と共に「高校銀座」と呼ばれていた廊下に座らされた。いや、宿題を忘れたのではない。正確には問題が解けなくて白紙のまま提出したのである。

 忘れもしない。夏の長期休暇中に行われた校内実力テストで数学に関してボクは記録的な敗北をしでかした。クーラーのないうだるような暑さの中で汗を拭いながら懸命に問題に取り組んだにもかかわらず、数学でとんでもない点をゲットしてしまったのだ。数日後のホームルームの時間に採点済みの答案用紙が前の方から裏返しでボクの手許に返ってきた。3枚あった答案用紙に一枚一枚目を通す。一枚め、0点。二枚め、0点。ああ、高校入学以来初の0点か、と泣きたくなるような悲痛な気持ちを抑えつつ恐る恐る三枚めの答案用紙に視線を落とす。赤ペンで大きく三角が書かれていて、その中に「5」とあった。結局200点満点の5点、これが医学部を志望していた受験生の数学の実力だったのだ。冗談みたいに聞こえるかも知れないが正真正銘の実話である。当時ボクが通っていた高校の普通科は、通称「トップクラス」と呼ばれていた理系・文系混合の優秀組、次に「準トップクラス」と呼ばれていた理系、文系の組が一つずつ、そして「私立組」と呼ばれるクラスが三つ、合計六つのクラスで構成されていた。ボクは「準トップクラス」に属していたが、無論数学では記録的な最低点である。ボクの一つ前の席だったN君、元気かい?あの時はよくも笑ってくれたね。さわやかな君の笑顔と白い歯は今でもしっかり覚えておるぞ。

 これではいけない、と慌てたのは実はボクではなく母親だった。当時、知り合いの息子サンがボクの高校の先輩で、しかも国立大学の医学生であったことから夏期休暇中の彼に無理を言ってボクの家庭教師を頼みこんだ。大学の講義が始まるまでの数日間という条件はあったがこの願いを快諾してもらい、ボクは母親に言われるがままに何の抵抗もなく彼の実家に通って数学を教わった。人間的には尊敬できる先輩だったけれど、残念ながら数学の教え方に関しては少々不満が残ったな。問題の解き方についての説明に終止して正解が出ればハイ、終わり。どんなに数学が苦手な受験生でも正しい誘導を受けながら解き進めていけば、結構正解には至るものなのだ。実際の試験ではこの誘導がないから問題が解けないのに....。痒いところに手が届かない、しかもどこが痒いのかもわからない、そんな悶々とした気分を胸に9月からニ学期を迎えることになった。

 正確な時期は記憶していないが、たしかこの頃学校で三者面談が行われている。学級担任と生徒、及びその保護者の3人で志望校合格を阻む問題点を話し合うのである。担任を机の前にして受験生親子二人が並んで座る。元来頑固な性格のボクは医学部進学への希望を押し通した。当然のように担任は「この点数ではねえ。」と難色を示す。そんなことわかってらあ、と胸の内では反駁しつつもボクは「でも頑張りマス。」の一点張り。その時、親はあまり意見を言わなかった。漠然とではあっても我が子の現役合格は無理だ感じ、諦めていたのかも知れない。さて、そのような状況の中でも授業は進んでいく。ボクの数学消化不良病は進行する一方で栄養障害の様相を呈してきた。そんなこんなで不合格への風向きがいっそう強まる中で年を越し、いよいよ大学入試の第一関門である共通一次試験を受けることになるのである。< 次 回 に つ づ く >