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懲りずに病院の怪談話




 これまで病院の中で実際に起こった怪談話を8話ご紹介してきましたが、さすがに怪談話ばかり続くと少々食傷気味になってまいりますねえ。(苦笑)まだまだ皆さまに御紹介したいエピソードはたくさんありますが、今回を持ちましていったん「病院の怪談話シリーズ」はうち止めにしたいと思います。またの機会をお楽しみに。それでは始めましょう。どうぞお読みください〜〜〜〜〜。

 第九話 窓から見える沼

 私は市井の内科医で、病院、診療所に長く勤務してきた。かつて「学校の怪談」が若い世代の間で大流行したことがあったが、生死のドラマを日常とする病院には、学校以上に怪奇現象や怪談話がありそうだ、とあなたはきっと思われることだろう。そして実際にその通りなのである。

 夜の墓場とか、山奥の木々に囲まれた廃屋とか、いかにも霊が出てきそうな雰囲気のところでは、石や壁のシミが人の姿に見えてしまったり、かすかな物音でさえも怪奇現象に感じられることはあるだろう。今回のエピソードの舞台は「沼」である。

 百万都市A市郊外のベッドタウンにあるI病院。平野の裾に位置していて、正面玄関の先には住宅地と田圃が広がり、病院の裏手には小高い山を擁していた。病院と山の間には周囲径3キロくらいの沼があり、昼間は周囲の風景にマッチして美しい景色に感じるのだが、夜になると少々気味悪いものになった。そもそも夜の病院自体が静かなのであるから、深夜になると静けさの中でその沼はいっそう不気味に佇むのである。

 その沼は5階建ての病院の窓からよく見えた。病室、ナースステーション、医局。部屋の向きや窓の位置にもよるが、ほとんどの部屋からその沼を眺めることができたのである。そしてある時期、その沼に白い女性の人影を見たという目撃談が多発したことがある。

 その体験者の一人は夜勤の看護師であった。初秋の月夜のこと。彼女は同僚と二人で深夜近くの時間、ナースステーションの机でカルテに夜勤の記録をしていた。何気なく外の空気が吸いたくなり、手にしていたボールペンを机の上に置いて窓に向かった。そして彼女はその窓を開けた。月がとてもきれいな晩で空気もひんやりとしていて気持ちよく、絶好の眠気醒ましになったそうだ。一回ゆっくりと深呼吸をして沼に視線をおとすと、彼女は一瞬目を疑ったのである。見違いなんかではない。月明かりのせいで、むしろハッキリと見えたのである。沼の水面に全身白い着物に身を包んだ女性が、うつむいたまま立っているのである。仕事柄であろうか、彼女は入院患者さんが入水自殺をしようと沼に入っていったのではないかと瞬間に思ったらしい。大声で背後の同僚を呼ぶ。しかし冷静に考えると、沼の中央は相当の深さがあって到底人が立てるような状況にはないことを思い出すのだ。彼女の同僚には水面の女性の姿は見えなかったらしい。私は入院患者さんからも沼に浮かんだ女性の話を聞いた。次に記すのは、頃を同じくして急性腸炎の治療のためにその病院に入院していた20代男性の目撃談である。

 病院の消灯時間は早い。ほとんどの病院で21時と決められているのではないだろうか。老いも若きもこの時間になると強制的に病室の室内灯を消されてしまう。病院の決まりごとで仕方がないとはいえ、若い患者さんにとっては眠りにつくまでの苦痛な時間の始まりだ。

 その晩、腹痛が治ってすっかり体調を戻したJさんは、点滴が外れる日を翌日に控えて消灯時間後の退屈な時間を過ごしていた。まだまだ眠る気にもならず、頭上にある小さいランプをつけて漫画本を読んでいたらしい。やがて睡魔が襲ってきたので寝ようと思いランプを消した。本をベッドの横にある台に置こうと体を起こして何気なく窓の外を見たとき、彼は薄暗い沼の水面にぼんやりと白い影を見たのである。その顔は見えなかったが、その姿は間違いなく女性だと彼は述懐している。

 白い影は何かを探すかのように、水面をゆっくりと静かに移動していたらしい。ずいぶんと長い時間(とJさんには感じられたらしいが)、その姿は沼を移動し続けたようだ。その影が消えるまで彼はずっとその女性の姿を見つめていたらしい。「Jさん、怖くなかったのですか?」と私が聞くと、「全然。」とそっけない返事が返ってきた。

 I病院に勤める事務の若い男性もその姿を目撃していた。事務部のスタッフにも宿直の義務があって、夜間外来を受診される患者さんの事務的対応のみならず、夜間の外線対応や院内見回り業務もあった。ドアの鍵のかけ忘れ、喫煙所の火の始末、不審者の有無などをチェックしながら巡回するのだ。私が当直のある夜、事務当直室で看護師と3人でお茶を飲みながら彼が目撃談を語ってくれた。残念ながらその一部に関しては私の記憶が定かでないのだが、思い出すままに書いてみることにする。

 彼が宿直だったある夜。夜間外来が慌ただしかったこともあり、いつもより少し遅い時間帯に病院内の巡回に出ることになった。すでに深夜である。彼が5階病棟を見回った時のこと。

 まず病棟のナースステーションで巡回の開始を看護師に告げてから、いつもと同じように彼は見回りを始めた。ほぼ棟の中央にある洗面所左横の、山に面したベランダへと出るドアの閉まっていることを確認する際に、たまたま眼下の沼に目を向けたそうだ。その時に彼は沼の中央に白い影を見たのである。何だろうと思い、よく目を凝らしてみると人影だった。不思議なことに、彼もその影が女性だと断言するのである。

 異なる日に異なる人が、沼の水面に白い女性の影を見る。もしこの影を目の錯覚だとするならば、3つのエピソードの一致は単なる偶然ということだろうか。しかし、沼というのは霊の目撃談がおおい場所だとかつて私は聞いたことがある。 

 第十話 当直室

 私は市井の内科医で、病院、診療所に長く勤務してきた。かつて「学校の怪談」が若い世代の間で大流行したことがあったが、生死のドラマを日常とする病院には、学校以上に怪奇現象や怪談話がありそうだ、とあなたはきっと思われることだろう。そして実際にその通りなのである。

 もう10年以上も前の事だ。仲の良かった知人が勤めていた病院で、当直のアルバイトをすることになった。急病により長期療養を要する医者が退職してしまったために当直要員が減ってしまい、急遽私が土曜日の当直を頼まれることになったのだ。もちろん非常事態に伴う臨時の応援である。困った時はお互いさまだよ、と快く返事をしてその日を迎えた。

 土曜日午後の仕事を16時には終わらせて知人の病院へと向かう。あらかじめ準備した地図と聴診器、白衣を手にして車に乗り込み、峠を越えて田舎の田圃道を走ること約1時間。地方都市郊外の病院に着いた。周囲に背の高い建物がないため、病院がすぐに見えたので土地カンのない私はとても助かった。

 病院玄関を入ってすぐ右斜め前にある受付で私が自分の名前を告げると、間もなく友人が私を出迎えてくれた。応接室に案内され、二人でちょっとした世間話を交わしつつコーヒーを飲み、それから彼に院内を案内してもらった。当時まだ築7年のその建物には当然目立った汚れもなく、清潔な雰囲気であった。田園に囲まれた静かな環境に立地していることもあり、私は好印象を抱いたものだ。

 さて、最後に通されたのが当直室である。ビジネスホテルの個室ほどの広さの部屋には、ベッド、机、冷蔵庫、テレビ、そしてトイレ・シャワー室が取り付けられている。部屋が少々湿っぽいことが気にはなったが、しかし他の病院の当直室に比べると十分過ぎるくらい立派で気分良く夜を過ごせそうだ。友人に礼を言って、私は早速病棟に出向いた。その病院は夜間外来を受け付けていなかったため、入院患者さんの対応が当直医の仕事になる。2階病棟、3階病棟と入院患者さん達は落ち着いており、軽い発熱の患者さんの対応が済んだら当直室に戻ることができた。当時、救急病院の殺人的な忙しさに慣れていた私にとって、この気楽さは実に貴重な体験だった。夜勤のナースに聞くと、いつもがこんな感じなのだそうである。

 再び当直室に戻る。机の上には食事が準備されていた。白衣を脱ぎ手洗いを済ませてテレビをつける。そしてバラエティー番組を観ながら食事をいただく。その後、病棟からのコール(呼び出し)は全くなく、いたって平穏な時間を過ごすことができた。この調子なら一晩呼ばれることはないだろう、と思いつつ洗面を済ませて、電気を消し布団にもぐった。確か23時頃だった記憶している。

 悪夢を見ていたのかも知れないが、その晩はとにかく寝苦しかった。室温が暑いとか身体がだるいとか、そのようなことではない。なぜか落ち着かないのである。後から考えると、自分のすぐそばから誰かにじっと見られているような感じに近いものだったと思う。寝返りをうちながら、時計の秒針がカチカチと時を刻む音を聞いていた。

 うつらうつらしていたのかも知れない。仰向けに寝ていて、突然身体がこわばって動かなくなった。息苦しい。これは金縛りじゃないか、と思った瞬間、左斜め上から誰かが私の顔を覗き込んだ。私は強度の近視で、普段は眼鏡がなければ全く人の顔などわからない。しかも電気が消えて部屋は真っ暗だったというのに、それは男だとすぐにわかった。やがて私の左耳のすぐそばで、男の力強く低い声で読経(どきょう)のような響きが聞こえる。とにかく身体がきつくてもがいていたが、やがて手足の自由がきいたと同時に男の気配と声が消えた。気がつくと全身汗でびっしょりになっている。急いで部屋の電気とテレビをつける。男の気配があった場所は壁。時計は深夜の2時半。夢かもしれないが、それにしてもはっきりとした現象だったので正直気味が悪かった。汗を流すためにシャワーを浴び、電気とテレビをつけたまま下着一枚でベッドにもぐり夜を明かしたのだった。

 当直室には窓がない。目を醒ました私はテレビ画面の表示で朝7時であることを知った。白衣を羽織り、当直室を出て病棟に向かう。深夜勤務のナースに声をかけ、何か変化がなかったかを尋ねたが、特に私の仕事はなかった。

 栄養科から当直室に運ばれた朝食を食べて身仕度を整える。当直勤務は8時半までなのだ。日曜日午前の担当のドクターに簡単に申し送り(引き継ぎ)を済ませてから私は病院を出た。

 翌月曜日、病棟業務の私に友人からお礼の電話がきた。あの晩の出来事がどうも気になっていたので、思いきって彼に聞いた。

『ちょっと話を聞いてくれるかな。実はね。当直室で奇妙な体験をしたんだよ、先生。』

『ああ、わかるわかる。それ坊さんの幽霊が出たんだろ。』

『ええっ!!』

『大丈夫、大丈夫。そいつは決して危害を加えたりしないから。ははは。』

 いたって普通に、あっさりと聞き流されてしまった次第である。あの体験以降、私は当直のたびに当直室の電気を一晩中つけっぱなしにするようになっている。(現在でもなおそうである。)その後、友人は転勤になり別の病院へ。私はあの病院に出向く機会は全くなくなってしまった。