先日、久々に実家の本棚(本箱)を整理していたら、偶然に遠い昔に読んだ本が何冊か出てきました。そのどれもがマンガや偉人の伝記など小学生高学年から中学生の頃にかけて読んだ懐かしいものばかりでしたが、そのほこりをかぶった本の中に『ぼくは12歳』というものがありました。これは12歳という若さで自死を選んだある少年の詩集なのですが、僕がこの本を初めて手にしたのが偶然にも彼が亡くなった歳と同じ12歳の時でした。当時中学一年生だった僕はこの本に大きな感銘を受け、以後未熟ながらも人間(ことに若者)の生死の問題を真剣に考えるようになり、またノンフィクション物の本が持つ意味やその中で語られる言葉の重さをいやというほど思い知ることになったのです。つまりこの本と出会うことによって思春期だった僕の人生観がより深まったともいえます。
この詩集の作者は岡真史(おか まさふみ)さんで、お父様の高史明氏、お母様の岡百合子氏が編集なさっています。自死の約1年ほど前から書かれたというその詩のどれもに、若者の持つ(やや早熟の感もある)みずみずしさ、透明感、躍動感、時には絶望感がちりばめられているように思われます。飾らない言葉で綴られた詩の一つ一つに自分の心の中に共感するものがあったのでしょう、当時の僕は時間を忘れて本書を夢中になって読んでいたのでした。
お母様が記されたあとがきには、彼は音楽がとても好きでビートルズのレコードを聴き、そしてバイオリンを習っていたというエピソードがあり、そのことが僕が彼の詩に惹かれる一つの要素だったのかも知れません。僕も中学生になってすぐにビートルズを知り、彼らの音楽に夢中になり、また小学6年生の時に祖父にバイオリンを買ってもらっていたのです。
いま改めて彼の詩を読みなおしてみても不思議なことにその魅力は少しも変わっていません。(僕にとっては彼の詩に対しての文学的な評価や価値なんていうものはどうでもいいことなんです。)12歳という幼さで自死を選んだ少年の心理を詩から読み取ろうという試みも、彼の放つ言葉の力の前にいつの間にか忘れてしまっている、という感じです。こんなにストレートに読み手にメッセージを伝えられることができるのは少年の心の純粋さからなのか? それとも彼の才能なのか? どちらにしても彼は死ぬべきではなかったのでした。僕は若者の死を美化することには反対です。どのような理由があろうと自らが死を選ぶことについては納得いかないという考えの持ち主ですが、彼の死がきっかけとなりこの詩集が世に出たことを考えるとすこし複雑な心境になってしまいます。彼の死を通して僕らはこのような輝きをもった詩集を手にすることができたわけなのですから。
ふと思い出すことがあり、自宅の倉庫の奥の段ボール箱の中からあるものを探しました。実は中学生の時、僕は彼の2篇の詩(『リンゴ』『夕ぐれ』)に曲をつけていたのです。何とか見つけ出した色褪せたその譜面をこれを機にきれいに別の五線紙に写すことにしました。
リンゴはもうえだと/くっついていないかも/しれないのに/おちません/おちません/(後略) 『リンゴ』より抜粋。
そのリンゴを「みていると」まぶしくなる。それはリンゴが日光に反射しているせいなのか、それとも「あのしんぼうづよさ」ゆえなのか、と問いかけが続いています。当時の僕はこの詩に大変魅せられたのだと思いますが、今読んでみてもとてもすがすがしく素晴らしい詩だと思います。
彼の詩は僕の心の深い部分に染み込んでしまっていたようです。高校生の時に作曲した『 TIME HAS PASSED MY BY 』という曲があるのですが、全く意識していなかったのにもかかわらず、その歌詞の内容が彼の『時間』という詩のコンセプトそのものだったのです。ちょっとした驚きでした。
かみをとかそうとする/くしが/おれていることがわかった/あたらしいくしはもうない/時間がすぎさったから/(中略)
アアあの人がいたならば/さとうはいつも用意して/おれたくしもかいなおす/たびもいっしょに/いけたのに/でもあの人はもういない/時間がすぎさったから/ 『時間』より抜粋
以下は僕の作った歌詞です。(原文は英語ですので邦訳しておきます。)
君の声をたしかに聞いて/僕は振り返ったけれど/君の姿はどこにも見えない/それは時間が過ぎ去ったから/どんなに親しい仲間がいても/いずれ別れなくてはいけない日が来る/それは時間が過ぎ去ってしまうから/(中略)/今すぐにでも君とどこかに行きたいけれど/君はもうここにはいない/それは時間が過ぎ去ったから/(後略)
彼の詩集は多くの人々に感動を与えたようです。読者から数多く寄せられた便りの一部をお母様は一冊の本にまとめられました。(『大空に舞った少年よ』)思春期の若者がもつ人生の葛藤から果ては民族問題にいたるまで、その内容は大変に深く考えさせられます。一読をお勧めしたい本です。

1976年に筑摩書房から出版されたこの本はすでに絶版。ちくま文庫『<新編>ぼくは12歳』(1985年)は入手が可能です。
ここからは余談になります。詩集の最後に載せられたお父様のあとがきに、『真史は、折りしも暗い夜空にとどろいた雷光に裂かれて、蒼白(あおじろ)く染まった大空に身を投げ、永遠の大地に帰っていったのでした。』『真史が大空に身を投げたあと、雷雲はいつしか遠ざかり、さわやかな涼風の吹きはじめた夜空には、美しい星がきらめいていたのでした。』とあります。当時、たまたまレコードで聴いていたプロコフィエフの交響曲第5番の3楽章の音楽とこの文章のイメージが驚くほど合致し僕は深く感動したのでした。この音楽ともう一つ、ドヴォルザ−クのチェロ協奏曲ロ短調もこの詩集のイメージに良く合っていて不思議です。ぜひ聴いてみてください。