クラシック音楽を古臭い、堅苦しいといって敬遠する人は、一時期ほどでないもののやはり多い気がしますね。これは音楽に限らず、「玄人(くろうと)」集団(要するに専門集団)による芸術の『独り占め現象』が原因の一つだと僕はずっと主張してきました。音楽を例にとれば、音大を卒業したり、有名な先生に師事したりしなければ「本当の音楽」を表現できない、といった誤解がその根本だと思うんです。さて、ここでは幼少期よりピアノを習ったこと以外には音楽に関しての専門教育を全く受けていない僕がクラシックの名曲の解釈に果敢に挑みます。記念すべき第一回のテーマは、クラシックファンなら誰もが知っている、あるいはピアノと戯れたことのある人なら一度は弾いたことのあるはずの、お馴染みべ−ト−ヴェンの「月光」ソナタ第一楽章です。さっそくこのソナタを題材に解説を試みてみましょう。
この曲との出会いは今でもはっきりと覚えています。幼い頃の僕はピアノのレッスンをピアノ入門編のバイブルとも言われていた「バイエル」から始めて(今では「バイエル」に批判的な意見が多いようですけどね。まあどうでもいいことなんでしょうが。)ハノンの教本、モーツァルトやクレメンティ、ディアベリらのソナチネを経て、有名な「(モーツァルトの)トルコ行進曲」や「エリ−ゼのために」、「乙女の祈り」といったメロディアスな曲にたどり着いていたのでした。そのような曲ばかりポロンポロンと弾いてきた僕にいきなり課題として差し出された譜面がこの「月光」ソナタだったのです。僕が11歳の時です。
最初はとても嫌いでしたねえ、この曲。インキな感じだなあ、楽しくないなあと子供心に思いましたよ。だからレッスンがとてもイヤでした。第一楽章は単調(3連符の嵐!)で、そんなに技巧的に難しくはないから一応弾けたので、当時は何の感動もなく普通に「ただ音を指示通りにピアノを鳴らして」いただけなのでした。そんな僕が中学生になり、先輩たちが組んでいたバンドのキーボーディストになり、ビートルズを知りロックに目覚めると何故かこのソナタの解釈が少しずつ違ってきたようです。それまではクラシックばかりに親しんできて、楽譜の中の指示(例えば、感情豊かに、弱く、激しく、といった指示ですね。こういった要素はものすごく重要視されるんです。)にしばられていたのが、一変して自分の好きなように自由に音を表現できることや、フィルイン、アドリブといった緊張感を味わう快感を覚えていったのでした。そしてビートルズの有名なナンバー「イン・マイ・ライフ」「レット・イット・ビー」が好きで何度もピアノで弾いているうち、はっと気付くことがあったのです。
このことをお話する前に日常の会話を例にとりましょう。経験的にトーンの低い声より高い声の方が大きな声に聞こえますね。また、低い声より高い声の方が感情の高揚を聞き手はより感じやすくなります。ビートルズの曲を歌っているとき、あるいはピアノで弾いているときに、低い音から次第に高い音に移るときに無意識にフォルテ(音が強い、という意味です。)になって自然にテンポが早くなってしまうことに気が付いたのでした。実際この法則は、ロックやジャズ、クラシックとあらゆる分野の音楽に共通しそうです。
ほうほう、そうか! と思って「月光」ソナタの譜面を取り出しました。以下に曲の冒頭部分を載せてみます。いきなり3連符(3つの音の連なりです。)が並んでいることがおわかりになるでしょう。

この3連符の流れを線で表わすと、////...... のようになりますね。この低い音から次第に高い音に上昇する一連のフレーズはある種の高揚感、あるいは沈みゆく雰囲気を食い止める効果があるように思います。ある時、僕は試しに////のフレーズを逆の\\\\にして弾いてみました。左手のパートの音も2小節めには下がっていますから、全体として地底に吸い込まれるような妙な感覚が起こって演奏の手を止めてしまったのでした。多くの解説書では、この3連符の流れを「月が明るく照らしている湖の水面」に例えていますが、僕の解釈は違っていて、この部分に関しては、底なしの絶望感から必死になって這い上がろうとする静かな闘志を感じてしまうのです。結局あんまりロマンチックな解釈をしていないんですね。実際にお聴きになればよく解りますが、結構不気味ですよ、この部分。先の見えない不安感や恐怖心への戦いの意志が静かに語られている、という方がよほどイメージに合うような気がします。そしてこの闘志が第3楽章のあの爆発的なエネルギーにつながっていくんでしょう。それともう一つ。4分の4拍子と2分の2拍子の違いですね。数学的には小節1単位あたりの長さは「イコール」なんですけど、音楽的には「イコール」じゃあないんです。言葉であらわすと、前者は『オイッチニッ、サンシッ、オイッチニッ、サンシッ......』で後者は『イ−チ−ニ−イ−サ−ン−シーイー』くらいの呼吸の差があるんですよ。この楽章では「アダージョ」、つまりきわめてゆっくりというテンポと2分の2拍子の指示がありますから、ベートーヴェンは「テンポは遅く指示したけれど、曲に大きな呼吸をさせなさい。』と教えてくれてるんですね。このことは大切でしょう。さて、この前奏部分(といっても僕には立派なメロディー(主題)に聴こえますが。)の後にいよいよテーマの登場です。下に譜面を載せますね。

冒頭の3連符のところもpp(ピアニッシモ:とても弱く)でこのテーマのところもppですから、作曲者は「静かに弾けよ、静かにだぜ。」と念を押していますね。たいていテーマが始まるとそれを強調したいがために思わず強く指が鍵盤を叩いてしまうもんなんですが、ベートーヴェンは明らかに「感情を押さえろ!」と注意してくれています。バンドでヴォ−カルを担当していますと、気持ちの高まりでつい歌のテンポが勝手に走ってしまったり、場にそぐわない叫びをあげてしまうことがありますが、これ、状況によっては聴き手に滑稽な印象を与えてしまったり、興ざめな気分を味あわせてしまう原因になることでしょう。そうならないように気をつけろ!とベ−ト−ヴェンさんが教えてくれているのであります。
しかし考えてみるとこのテーマの入り方は難しいなあ。もともと3連符って「1」という長さを数学では割り切れない3で割っているんですねえ。しかもその上に「1」という長さを4等分した長さの音符が乗っかっちゃっているんですから。ピアニストはちょっとばかり解釈に苦労するわけです。でも僕は思うんですけれど、この技法は曲の響きを単調にしないための工夫ですよね。絶対に。作曲やアレンジの時に曲調を単調にしないために注意するときに、1)リズムを変化させる。2)転調させる。3)複雑な和音を作る。4)音の流れに変化をつける。 とこの4つは鉄則ですもんね。(変奏曲の手法です。)間違いなくべ−ト−ヴェンは3連符ばかり続く中に、せめて主題だけは変化を持たせて、ppの中でもしっかりと際立たせようと意図しています。だからピアニストは何も気にしなくていいんじゃないでしょうかね。気にしながら厳密に弾こうと思うよりも、サラッと流して弾いちゃった方が耳に心地よく響くことでしょう。普通にさらっと弾くだけでしっかりと効果が出る、これが大作曲家の偉大なところなんでしょうね。
それにしてもこの主題はどんなに好意的に解釈しても「暗い」し訳がわかんないですね。だって、短調(一般的には暗い響きを持つ)と長調(一般的には明るい響きを持つ)とを不安定に行ったり来たりしていますもんね。どうですか? もはや「月光」というちょっとロマンチックな響きはこのテーマから全然感じられんでしょう。むしろ「月光」を背景に不気味に感じつつ、心の中で不安や絶望と闘っていると解釈したほうがいい。くどいですケド。
結局、第一楽章は一貫してこういった雰囲気に包まれているのです。際立った変化といえば、中間部で右手が例のごとく3連符を刻みながら、低い音から高い音へ昇りつめ、また来た道を戻るかのごとく下っていくという場面があるくらいです。ちょっとここで、このソナタが作曲された背景に迫ってみようと思います。このソナタが作曲されたのは1801年、ベ−ト−ヴェンが31才の時でした。ちなみに手元の資料によると(「ベ−ト−ヴェン」平野 昭 著 新潮文庫)この年に友人に宛てて、耳の調子が次第に悪くなっていく旨の手紙を送っています。ご存じのように晩年のベ−ト−ヴェンは高度の難聴のために聴力を失ってしまいました。音楽によって生計を立てていた作曲家にとって次第に音を失っていくことの絶望感、恐怖心はいかばかりであったか想像するに余りあります。聴力が次第に失われつつある作曲家にとって、無気味なほど静かな夜にこうこうと戸外を照らす月光を詩的に、そしてロマンチックに解釈することはできんですよねえ。たとえ恋愛の最中だとしても。
僕はこのソナタの第一楽章を弾くときにはあまり情感を込めずに、かつ軽い響きにならないよう注意しています。あまり気持ちを込め過ぎちゃうと、さっきも書いたようにテンポの乱れや滑稽な響き(や演奏者の仕草)が出てくることがありますもんね。ひたすら「暗く、暗く」そして過酷な運命に立ち向かおうとする闘志を秘めつつ「静かに」弾きたいと思っています。そしてこの楽章を終え、恐らくは安息だった日々への回想である穏やかな第2楽章から、今度は一変して激しい闘志をむき出しにして運命に立ち向かう第3楽章へのドラマを感じつつ、このソナタを弾きこなしたいと思っているのであります。