20代半ばの僕は本当に元気でした。仕事も遊びも半端じゃなかったっスよ。(でも悪い遊びはしておりませんヨ。)南海ホークスが九州にやって来て福岡ダイエーホークスを名乗った時以来、僕はホークスの熱烈なファンで平和台球場によく応援に行っていましたが、福岡ドームが出来た頃には我慢できなくなってしまい(病気が高じてしまい)とうとう職場に私設応援団を結成してしまったのであります。団名を『メディカル ホークス』と名付けました。そして職場が北九州の小倉だったので北九州市民球場をフランチャイズとする応援団というふうに位置付けました。
それからというものプロ野球公式戦が始まるとそわそわしだし、北九州で試合がある日は仕事を抜け出し(ナイターなのに外野席の場所取りのため午前11時には職場を後にしていました。上司は呆れて黙認状態(?))またある時には急用が出来たと職場を後にし福岡ドームに出かけ、その日のナイター中継でハッピを着てはちまき姿で応援している僕の姿がテレビにアップで映ってしまい 上司にばれてしまうといった失態もやらかしてしまいました。
(写真1)
(写真2)
(写真3)(写真1) 北九州市民球場にて上機嫌な団長
(写真2) ホークスが点を入れてダイエー傘を振りまわして喜ぶ団長
(写真3) ジュリアナ扇子(せんす)隊を結成し、相手をアウトにとった際に立ち上がって踊る団長
また、初心者が応援しやすいようにパンフレットを作って渡すきめ細かさも忘れませんでした。(写真4)
(写真4)しかし、ここまで気持ちを込めて応援して来たのに成績はいっそ振るわず、万年Bクラスのレッテルを貼られた頃から次第に熱が冷めはじめてしまい(仕事が忙しかったせいもありましたが。)とうとう団長を勇退するにいたりました。(皮肉にも2年後に日本一になってしまったのです!)
さて、今でも僕の部屋には団長当時の品が数多く残っています。
(写真5)
(写真6)
(写真7)
(写真8)(写真5) 団長愛用のユニホーム
(写真6) ダイエーホ−クス選手人形
(写真7) 秋山選手と柴原選手の直筆のサイン
(写真8) メガホン類(中にはライマ−選手の直筆サイン入りの物もあり)